« Puis, sautant du coq à l’âne :
« ー Lorsque je serai veuve, je ne pourrai même plus, avec ma pension, conserver cet appartement où j’ai vécu vingt-cinq ans. »
(©Georges Simenon : Maigret et le fantôme; Chap.2)
「それで急に話の筋を変えて『私が未亡人になった時には、年金では25年暮らしたこのアパルトマンにはもう住み続けられないでしょう。』と言うんです。」
(#89『メグレと幽霊』第2章)
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*ロニョン夫人の様子を見舞に行ったメグレ夫人の話。主治医が訪ねてきたが、ロニョン夫人の不定愁訴は多分に精神的なもので、肉体的には健康だという説明を聞いたと報告する。
*Puis, sautant du coq à l’âne < sauter(ピュイ・ソータン・デュコカラーヌ)それで急に話の筋を変えながら(現在分詞)
フランスの昔からの慣用表現:「雄鶏からロバに飛ぶ」⇒「話題を飛躍させる」
Crédit d’image : Timbre : Sauter du coq à l'âne @Wiki Timbres
https://www.wikitimbres.fr/timbres/8840/sauter-du-coq-a-lane
名詞形でも coq-à-l'âne n.m. 話題の飛躍、話の逸脱
*参考再出:フランス語の慣用表現「鶏からロバへ⇒ 話題を急に変える 」(コカラーヌ)2019.08.31
https://maigretparis.hatenablog.com/entry/2019/08/31/095128
**Lorsque je serai veuve < être(ロースク・ジュスレ・ヴーヴ)私が未亡人になったとき(単純未来形)ここでは動詞変化が単純未来形になっているが、「現実に反する仮定」としての条件法 je serais もありうるのでは?と思う。どちらの場合も発音がまったく同じなので、単に話を聞いている場合には漠然と「どっちの言い方でも構わない」とフランス人は思っているのではなかろうか?
je ne pourrai même plus < pouvoir(ジュヌプーレ・メームプリュ)私は~さえももはや出来ないだろう(単純未来形)
avec ma pension(アヴェク・マパンシォン)私の年金で
conserver cet appartement(コンセルヴェ・セッタパルトマン)このアパルトマンに住み続ける
où j’ai vécu vingt-cinq ans < avoir, vivre(ウ・ジェヴェキュ・ヴァンサンカン)私は25年間も暮らした(複合過去形)